2012年11月15日

演劇「普天間」は感性を磨く必見の舞台です。

普天間」公演、25日後に迫る!

現在、松山市内はもとより、新居浜、今治、内子、宇和島など県内各地で公演の紹介、観劇の呼びかけが進んでいます。現在、700人の観劇目標に対して、チケットは県内約40団体・個人に1,200枚程度を預かっていただいているところです。しかし昨日の実行委員会では、このうち実際に売れているのはまだ117枚だということが判明しました!(*_*;!
チケットの普及に、自身の日常的な文化・文芸運動、平和運動の一環として精力的に取り組んでおられる方々のメッセージと、畑野実行委員長の「感性を磨く必見の舞台」との強い呼びかけの一文を紹介します。



大澤博明さん(今治市・民主文学えひめの会)

大澤さん写真.JPG

青年劇場の「普天間」松山公演まであと25日と迫ってきました。沖縄をめぐる現在の動きを見るにつけ、この「普天間」公演を一人でも多くの方に観ていただきたいと強く思っています。早くから畑野先生や高曲さんから本公演についてお話をうかがっており、今治から松山での寒い夜公演に出かけるのは大変だとは思いつつ、チケットの普及に努力をしています。現在のところ、8人の方に大人券12枚を買っていただきました。あと手許に3枚残っていますので、ぜひこれを全部普及しなければと考えています。いろんな会合に出る際には必ずチラシを持参し、皆さんにお渡ししながら呼びかけています。編集に関わっている幾つかの会誌・ニュースなどにも「青年劇場『普天間』松山公演ご案内」を掲載しよびかけています。これからが正念場です。公演の成功をめざし1日1日を大切に、大いに声を掛け合ってがんばりあいましょう。

わが山河わがもの顔のオスプレイ爆音残し黒き二機行く
(11月3日朝日新聞「愛媛歌壇」)



岳重太さん(松山市)

 オスプレイ配備を県民あげて反対するなか、日米政府は厚顔にも強行した直後またも起こった悲劇。「普天間」の筋書きは知らない、しかし沖縄の「こころ」「いかり」を期待しています。つたない短歌ですが怒りの一端なりとも共有できたらと思います。 

ふるさとを遠く離れて普天間の檻にうごめく「ペンタゴン」

人を衝く訓練倦みて狼は心乾きてワインを舐める

那覇の街ネオン瞬き父母忘れ女性を襲う野獣共

レイプさる女性の心思いやる心の欠片なきゆえ野獣

原爆を落とせし国の軍靴にて今日も婦人を踏みにじりけり




小倉誠一郎さん(松山市)

小倉誠一郎さん写真.jpg
(写真は、東北の被災地に毛布を送る作業中)

沖縄は今、「オスプレイ帰れ!」の怒りでいっぱい。この怒りはさらに大きくなり、「基地なくせ」の声になっていくでしょう。今回の公演をみんなで観て、沖縄の人たちと心を大きくつないでいく機会にしましょう。


水野真理子さん(松山市)

平和な地球を子どもたちに手渡したいとの思いが、女性たちに共通していると思います。武力や脅しなど暴力では決して解決しないことを私たちは学んでいると思います。しかし、現実にはなかなか……。声をあげ行動することが求められています。

水野、鉄本.JPG
水野さん(左)と鉄本さん(右)
(写真は、原水爆禁止四国大会への参加途中の一服です。)


鉄本由里子さん(松山市)

オスプレイが我が頭上に飛び交うかと思うと、怒りで黙っておれません。と同時に沖縄の県民は毎日危険と騒音にさらされていることに、あらためて怒りが身近になりました。沖縄県民と連帯して、オスプレイ配備撤回を!安保はいらない!


演劇「普天間」は感性を磨く必見の舞台です。
愛媛で青年劇場「普天間」を観る会
実行委員長 畑野稔

畑野先生写真.JPG


「普天間」公演のチラシに、私は、「原発問題と普天間問題は喫緊の国民的課題」と冒頭に記しました。そのこと自体は今も微塵も変わっていませんが、上演台本を再読、三読するなかで、私が重要なことを欠落させていたことに気付きました。それは、私たちがごく自然に備え、事ある毎に実感しているはずの「感性」の鈍化です。福島の原発による被害者のみなさんの苦しみに共感し、それから原発問題を考える方向に舵を切った人は多くあったと思います。だが普天間を、歴史的にも長くヤマトーチューがウチナーチューに強いてきた犠牲、そして痛みの端的な象徴、さらにその痛みが今も疼き続けている場所として捉え、その痛みを同胞の一人としての自分の痛みとして捉え得た人が何人いたでしょうか。少なくとも私にはその痛切な痛みを自分のものとする素直さの持ち合わせがありませんでした。
オスプレイの飛行ルートを真上に持つ場所に住む者として、そのオスプレイが飛び立つ基地として、そのうえ、海外の戦場に兵士を送り出す拠点としての普天間を捉えることが、沖縄と私たちとの連帯を示す絆になると信じていたように思えます。だが、肝心なことの一つを抜かしていたことは明白です。それは普天間に、沖縄に住む人たちがどう考え、どう苦しみに耐えているかに、思いを及ぼしていなかったことです。ものの本などで知る知識としての事柄だけでなく、痛切な痛みを我が事として考えるためには、鋭い感性が必要なのです。それはご大層なものが脳内のどこかにあるのではなく、からだ中にそれが散らばっていると考えるのが妥当です。人間は無意識のうちにそれを駆使して、例えば自分に語りかけられることばを声という音波で耳で聞き取るだけでなく、体で感じ取っていることがしばしばあります。そのごく当たり前の備わった感受性を働かせて、普天間の人たちの痛みを感じ取ることをしていなかったことに顧みて忸怩たるものを覚えます。
 この普天間の台本には、その普天間の、そして沖縄の人たちの人間としての叫びが、具体的にしかも強烈に綴られています。これが実際に舞台化された時、いかに私たちの胸に突き刺さるか、想像に難くありません。
 また二十世紀に入ってから、特に太平洋戦争中の日本の軍隊の沖縄に対する差別、非道ぶりは目に余るものがあります。本土を守るための最前線と位置づけられ、沖縄県民全体が、何らかの形で実戦に狩り出されながら、理不尽な扱いを受け続けなければならなかった事実。結局は国体護持の第一線にいや応なく立たされて、筆舌に尽くせぬ犠牲を強いられただけの結末。さらに終戦後、米軍占領下でまた形の変わった無道ぶりに晒され続けた歳月。それらの数かずを作品は具体的に鋭く告発しています。
 それだけでなく、復帰後にも残る広大な基地に起因する数多い災禍。次第によっては私たちも蒙らなければならなかったそれを、実際的には沖縄に集中させている矛盾。それらについても作品は静かに訴えかけています。
  沖縄の人たちの持つ永年にわたって押しつけられた無道ぶりに対する怨念に近い怒りを私たちはきちんと受けとめ、現在も続いている痛みや苦しみを自分の痛みとする感性を甦らせ、親しく普天間の人びとともスクラムを組まなければなりません。感性を磨くためには豊かな想像力が必要です。政治的な観点からだけでなく、一人一人の人間の心に寄り添い、そこで手を結ぶことが真の連帯の姿と思われます。ヒューマニズムを基調に置く連帯の必要性をも劇「普天間」は主張しています。坂手洋二らしいドラマツルギーによって創られたこの作品は、まさに現代の演劇と呼ぶにふさわしいもので、必見の舞台といっても過言ではありません。
 また「青年劇場」は、常に現代の課題に果敢に取り組み、それを世に問い続けてきた劇団で、かつて「真珠の首飾り」を上演し、多数の人を感動させた経験を持っています。今回の公演もぜひ成功させたいと思いますのでご協力をお願いします。






posted by エヒメフテンマ at 11:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 普天間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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